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三菱王国 巨人岩崎弥太郎 インプレレビュー

三菱王国 巨人岩崎弥太郎 インプレレビュー [書籍:この本が凄い編]

要はワイロと接待漬けで興した財閥だったりして(笑)

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三菱王国 上 (集英社文庫 青 134-E)

三菱王国 上 (集英社文庫 青 134-E)

  • 作者: 邦光 史郎
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1982/10/25
  • メディア: 文庫

今回は久しぶりに『この本がすごい』をテーマに『岩崎弥太郎』をご紹介!!

そんな岩崎弥太郎って外様の土佐藩(現在の高知県)郷士出身(土着民であり、士分=侍でありながら農業を営むもの)でありながら・・・

現在の三菱財閥を一代で興した超やり手のスーパー実業家なわけで・・・

いくら明治時代の世情が混乱していたとはいえ、そんな偉業をどうやって達成したんだろうね??

って疑問が湧くでしょ??

今回はそんな岩崎弥太郎に焦点を当てた邦光史郎さんの小説をインプレレビューしていこうと思うのです!!


ちなみに本作って1982年に出版された小説なわけで・・・

現在では残念ながら新刊は手に入らないので図書館で借りるか、古書を入手するようにしてね!!

そんな感じで・・・行っちゃうぞ!!

 




日本最大財閥の礎を築いた胡散臭い偉人物語の傑作(笑)


海外で日本企業はと聞くとトヨタ、ソニー、マツダ、パナソニック、シャープ、東芝と並んで必ず出てくるのが、三菱の名前!!

そんな世界に誇れる大企業中の大企業である三菱グループは・・・

前述したように創設者である岩崎弥太郎の功労により、現在の礎が築かれたといっても過言ではない!!

そんな三菱がどうやって始まったのか・・・

それを詳細な伝記的な小説にして、誰にでも一覧で理解できるようにしたのが本書なのです!!

なので非常に読みやすく、わかりやすい文章なので岩崎弥太郎とはどういった人物だったのかが、小学生でも理解できるほど簡潔にまとめられているので、伝記としてもヨシ、小説としてもヨシの傑作なので非常におススメ!!

でも前述したように絶版となっているので入手するのは一苦労だと思うけど・・・

もし興味があったら是非読んでもらいたいって思うのです!!






岩崎弥太郎は下級郷士の出身だった!!

そんな三菱は1870年(明治三年)土佐藩お抱えの商社だった九十九商会を母体とし、土佐国安芸郡(高知県安芸市)出身の岩崎弥太郎(1835年生~1885年没)により、弥太郎、一代で現代に続く全三菱グループの基盤を作りあげた旧財閥系企業である事はみんな知ってるよね??

だって『龍馬伝』でも、その事はかなり触れられてたでしょ??

坂本竜馬と岩崎弥太郎って切っても切れない関係だし、二人は夢の実現者とパトロンという深~い絆・・・

じゃないな、水と油だったけど強い運命で結ばれてたからね(笑)

そんな三菱の創業者である岩崎弥太郎は、天性の経営手腕と先見の明がある日本、いや世界の歴史に残る偉人だと思うのです!!

そんな岩崎弥太郎は土佐藩で生まれた下級郷士の出身で・・・

土佐藩の下級郷士制度は長宗我部国親(1504年生~1560年没)の命と言われ運用されてきたけど・・・

それが明確化されたのが関ヶ原の合戦により掛川城主だった山内一豊が土佐に封入されて以来、家臣である掛川衆を上とし、長曾我部家臣を下に据え置くことで明確な上下関係の差別化を図ったのが始まりなのです!!

そんな岩崎家は下級郷士の中でも最下層の一領具足(半農半武士)の家系であり、帯刀は許されているもののほぼ農民と変わらない、いや、農民よりも貧しい生活を一生送るしかない境遇にあったのです!!

一説には弥太郎、又は実父の彌次郎が郷士札を買った可能性も他資料では指摘されており、現代人が軽自動車を購入するような気軽さで藩士札が売買されてた事実もあったようなので、ホントは流民だった可能性も・・・

なぁ~んてね(笑)

そんな生活に嫌気がさした弥太郎は学を付けようと叔母が嫁いだ土佐藩髄一の儒学者である岡本寧浦に師事し、猛勉強しちゃう!!

これは現代でも同じで貧しい家庭の出身である弥太郎が良い未来を得るためには学をつけるしかないって事!!

でもさすがは土佐のいごっそう(頑固者)であり、好奇心が人よりも高い弥太郎の事!!

『岩崎は豪邁不羈というべき奴で、ありとあらゆる書を読んでいた。あの集中力は到底、我々の及ぶ所では無い』

と、当時の塾生に評されるほど勉学に熱心であったと記されてるので、努力家であったことは確かだよね??

そんな弥太郎に転機が訪れたのは1858年・・・

弥太郎が23歳の時、元々大酒のみで喧嘩っ早い父、岩崎彌次郎が庄屋と喧嘩した挙句、投獄された事で母より江戸から呼び戻された時に事件が起こったのです!!

元々強い、いごっそう(いじっぱりで強情)な性格の為、奉行所が頑として父の放免を許さない態度に怒った弥太郎は役所の塀に落書きをし、彼もまた叛意の罪で投獄されてしまうのです!!

その際、彼は役人への賄賂によって牢屋でも融通が効く事実を発見!!

のちにこれを教訓に三菱創設後・・・

明治政府の重鎮である大隈重信や伊藤博文、西郷隆盛、渋沢栄一、大久保利通、後藤象二郎、板垣退助、岩倉具視、井上馨、当時無名の福沢諭吉、坂本龍馬などへの賄賂と芸者接待、そして得意の話術を持って癒着し、意のままに明治政府を操っていく事になるのです!!

・・・って、ワイロ浸けかいって怒らないで・・・当時は合法だったので見逃してくれよー的な??







土佐藩に翻弄され続けられた開成館長崎商会時代!!

そんな狡さを身につけた弥太郎は赦免後、より権力の中枢に近づく為、土佐藩上層部に近い吉田東洋の少林塾に入塾して優秀さをアピールするのです!!

そのかいあって藩政改革を推進する吉田東洋の目に留まり、文化の進んだ外国を調査する名目の元、土佐藩お抱えの『開成館長崎商会』の財務担当となるのです!!

そんな開成館長崎商会は土佐の物産、特に防腐剤や防虫剤として当時、金、銀に次ぐ重要な商品だった樟脳を販売し、代わりに欧米の蒸気船や武器弾薬を仕入れ、幕府や倒幕派の長州藩、薩摩藩等へ転売する事で莫大な利益を上げるのです!!

当時の日本で開国されていたのは長崎の出島であり、弥太郎の主な取引先相手は・・・

オペラでも傑作であるプッチーニ作の”蝶々夫人”のモデルととも言われる”ツル”を娶ったスコットランド出身のトーマス・グラバーであり、彼の功労により三菱は『麒麟ビール』を手に入れる事になるのだけど・・・

弥太郎の弟であり、三菱二代目の弥之助の時代になるので、それはまた別のお話という事で(笑)



開成館長崎商会で天性の才能を発揮する岩崎弥太郎でしたが、大酒呑みと喧嘩早い事で有名な土佐人達が集まれば・・・

必然的に享楽を求めて遊郭に入り浸っちゃうのは当たり前(笑)

弥太郎と後藤象二郎は生粋の土佐人らしく連日、長崎の丸山遊郭に入りびたり、現代の貨幣価値に換算すると百万円ほどを一日で使い切ったとの逸話が残る程の豪遊を重ねた挙句・・・

些細な酒の場での口論をきっかけに後藤と仲たがいをし、藩命を無視して勝手に国元に帰ってしまうのです(驚)

でもいくら扱いずらいとはいえ、有能な岩崎を幕末の財政難の折り、土佐藩が放っておくはずがないよね??

藩命により弥太郎は、再度長崎へとしぶしぶ赴任することにするのだけど、時は明治となり、明治政府により廃藩置県が現実味を帯びてきた怪しい世情の中・・・

上士である後藤象二郎は明治になり開港された神戸や大阪の支社である開成館大阪出張所の主任(社長クラス)を命じられ、以前にもまして遊び呆けるようになったのです・・・って、一応、本作ではねって事(笑)

一方の弥太郎は金のかかる夢ばかり追って豪遊し、金の無心ばかりする坂本龍馬が起ち上げた海援隊や、浮かれる旧土佐藩の尻拭いに追われた挙句、独り遠い長崎で腐ってて・・・

再度、嫌気がさした弥太郎は上司である後藤象二郎に、何度も大阪への異動嘆願書を送り続けるのです!!

このままでは再度、弥太郎がやめてしまうと危機感を感じた土佐藩は彼の嘆願を受け入れて・・・

弥太郎を権少参事(中家老=常務か専務クラス)の地位に任じて、開成館大阪出張所がある大阪藩邸の責任者として赴任させるのです!!





顧客満足度の追及による発展期・・・三菱商会へ!!

実は弥太郎が大阪へと赴任したのは1869年(明治2年)なんだけど・・・

廃藩置県が現実となる雰囲気が漂っており、開成館が土佐藩のモノである以上、実施されれば明治政府に没収される危険性が現実味を帯びてくるのです!!

それを恐れた土佐藩の林有造らの判断により、開成館大阪出張所は土居市太郎、中川亀之助を代表とする個人経営の九十九商会と変更され、後藤象二郎は明治政府へ参画する事となるのです!!

ここで弥太郎は九十九商会代表者の二人を、権小参事という地位を利用して配下とし、実質的な決済権を握ります!!

1871年(明治4年)廃藩置県となり、弥太郎は九十九商会から三川商会へと変わった会社に、それまでの中家老という立場から実業家へと自らを変え、積極的に関わるようになります!!

でも一つの会社に土佐藩、土居市太郎、中川亀之助、そして岩崎弥太郎と四つの指揮系統が乱立していては経営が上手くいくはずがない!!

業を煮やした弥太郎は接待漬けにした明治政府から秘密裏に聞き出した情報を元に二束三文で藩札を買占め、それを明治政府に買い戻させる事で莫大な私財を得る事に成功・・・って、今だと立派なインサイダー取引で違法だけどね(笑)

そんな限りなく黒い資金をもって、旧土佐藩家臣と後藤象二郎らによって食い物にされ続け、長年、赤字経営だった九十九商会の負債を引き受ける事を条件に土佐藩所有の船舶や人材をそのまま譲り受ける事に成功し、弥太郎は生涯初の自分の会社を持つことになるのです!!

そして長崎時代で手に入れた土佐藩所有の船舶と人脈、経験を活かして、欧米の武器弾薬を転売する商社業務の傍ら、回漕(海運)業をメインに事業を展開していくことになるのです!!

1873年(明治6年)、岩崎家と土佐藩藩主、山内家の家紋を統合して現在の三菱マークを制定し、社名を『三菱商会』とする事で会社のオーナーであることを内外に示し、当時ドル箱だった海運業へと大幅にシフトしていきます!!

明治時代、日本では三菱商会以外に、三井財閥、鴻池組、小野組が設立した『共同運輸』や、国有の『日本国郵便蒸気船会社(日本郵船)』と、米国企業の『パシフィックメイル社(P・O社)』が航路の寡占を狙っていました!!

そんな市場が供給オーバーの状態では新規参入のベンチャー企業である三菱商会はなかなか顧客を増やす事ができないよね??

そこで弥太郎はダンピング攻勢を仕掛け、低価格を武器に利用客を伸ばしたのです!!

しかし敵もすぐに価格競争に参入、客離れが起きてそれまでの優位が覆されそうになる危機を迎えちゃう!

そこで弥太郎が思いついたのが『サービスの実践』!!

実は各社の社員は元武士であり、時代が変わってもそれまでの横柄な態度を変える事はできなかったのです!!

ほら、客船には運賃によってランクがあるでしょ??

例えば米国の『P・O社』では一番高い一等ならば甲板に出られるけど、それ以外の客が甲板に出ようものなら罵倒され鞭で打たれる事もあったようで・・・

お金を払っているのにも関わらず、日本人の乗客は荷馬並みのひどい扱いを受けていたのです!!

また同じように日本郵船や共同運輸、三菱商会でも”乗せてやる”との傲慢な態度であり、敬語を使わないばかりか、時には切り捨てる程の剣幕で客と接していたとのデータもあるので・・・

当時はホントにとんでもない接客態度だったって事!!

すぐに問題点に気が付いた弥太郎は、すぐさま社員たちの態度を改めさせて丁寧な対応を行わせるように徹底させるのです!!

でもやはり武士が頭を下げる行為は恥であるとの習慣は簡単には変えられず・・・命じられても頭を下げられない者も沢山いたらしいのです!!

そんな状態に苦慮した弥太郎は名案を思い付きます!!

そういった社員には小判を描いた扇子を持たせ、それに向かって頭を下げるように指導したり、入り口に暖簾をかける事で相手が先に頭を下げさせるといった方法をとり、接客の重要性を時間をかけて社員たちに認識させていくのです・・・って、発想のアイデアが素晴らしい!!

その結果、社員を変えられなかった日本郵船は立ち行かなくなり、三菱商会に買収され、日本郵船株式会社は三菱の中核企業となるのです!!






東京海上保険会社と三菱銀行の設立・・・すべては顧客満足度の為に!!

また当時の船は殆どが和帆船であり、シケにあうと貨物を海に捨てたりして莫大な損失が荷主には発生していました!!

弥太郎は悩む顧客達の声を聞き、1879年貨物保険を担う日本最初の保険会社として『海上保険会社』を設立、これが現在の『東京海上日動火災保険株式会社』となるのです!!

また当時は発送した荷物の代金を発送人が荷受人の元まで取り立てに行くのが普通だったけど、その手間を省くために荷為替制度を導入、これが1880年設立の『三菱為換店』となり、現在の『三菱東京UFJ銀行』となるのです!!

なので現在の三菱グループ企業は・・・

三菱商事は三菱商会で・・・

船を作っていたのが三菱重工で・・・

そこから派生した三菱自動車と三菱電機で・・・

海運倉庫を管理する三菱地所・・・などなど

現在、三菱の名を冠する全ての企業は、岩崎弥太郎が一代で築いた事業を基に成り立っている事が理解できたでしょ??

って・・・三菱鉛筆だけは三菱グループじゃないぞ・・・って、みんな知ってるよね??

ホント、ため息が出ちゃうくらい岩崎弥太郎って凄い人だねぇ~!!

そんな岩崎弥太郎は1885年(明治18年)50歳の時に旧岩崎邸庭園(東京都台東区)にて胃癌で亡くなります。

その後は弟の岩崎弥之助が二代目となり、三菱を更に盛り上げていくのです!!

ってな感じで・・・ちゃんちゃん!!





福沢諭吉も坂本龍馬も・・・三菱と深く関わっていたのです!!

それで三菱と言えば福沢諭吉さんが思い浮かぶでしょ??

彼は慶應義塾大学、一橋大学、専修大学、東大医科学研究所等を開設したことで有名だけど、当時の卒業生は就職口が無く、彼が岩崎弥太郎に泣きついて雇ってもらったってな話もあるよね!!

いやあ~、それで三菱グループ内にはそれら派閥が幅を利かせているんだねぇ~・・・って、関係ないぞっ(笑)

それで最後に・・・坂本龍馬さんっ(笑)

明治維新で表舞台に立てず、焦った旧土佐藩派が作り上げたアイドル(偶像)のような気がするんだけど??

沢山の資料を読んでも当時はパッとしない扱いで死後、持ち上げられてて、それって土佐藩による赤穂浪士の忠臣蔵的なプロパガンダって感じがプンプンするよねぇ~って、怒られちゃうかな??

ゴメンね、ゴメンね~!!

それでも書きたい事がもっともっとあるんだけど、みんなも迷惑だろうからこれ以上は読んでのお愉しみって事で!!





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こんな感じで今回はおしまい!!

本作は今の世の中でも通用する理念や考え、そしてそれらを網羅した生き様を見せつけてくれる傑作なので・・・

『歴史を知れば未来が見える』って強く思うぞ!!

そんな感じで・・・みなさん、ごきげんよぉーって事なのです!!



Pyonko and Mu From Tokyoでしたぁ~!!

 

タグ:小説
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笠原嘉

上の本って当たり前じゃん。お金の力で白い物も黒くできるしね。
政治の世界では〇億って金が普通に動いているし。だから?って
感じだね。しょぼ。 ^^; 名誉棄損なっかなー 削除 ?

by 笠原嘉 (2017-07-21 17:18) 

笠原嘉

GHQが財閥を解体したのは怖いからだしね。 ^^;
でも、読んでみようかなーーーーってな感じだよ。
by 笠原嘉 (2017-07-21 17:21) 

むうぴょんこ

うんうん、そうだねぇーっ…ヤバイ…こんな難しいのを書いちゃったもんだから…熱が上がってきちゃった(泣)
現在、38.1度で…22時は39度ジャスト‼
彼女が風邪引いてたのをもらっちゃったんだよね…そんな彼女は未だに一週間以上、咳が続いてるし…私も長引きそう(泣)
ホント…クマったもんだ‼
by むうぴょんこ (2017-07-21 23:03) 

笠原嘉

むうぴょん子 さん には 感謝しているよ。
色々とアホ事を書いてごめんね。 
頭がオーバーヒートしたんじゃないか? ^^;
ゆっくり休んでくださいな。
by 笠原嘉 (2017-07-22 00:07) 

むうぴょんこ

あはは…ようやく熱が37.5度になったけど…未だに咳が(泣)
なのにタバコとvapeを吸いまくってるので彼女から怒られてます(笑)
それでこれって風邪だから笠原さんのせいでもないので安心してね‼
なので…早く治るように吸いまくるぜぃ(笑)
by むうぴょんこ (2017-07-22 20:44) 

笠原嘉

私も一日中家で寝ていました。苦しい。明日は病院に行ってきます。
あと、この本をなんとしても手に入れようと懸命ナンダゾ!!
七人の侍とまだだよを観てました。(監督黒澤明)
アマソンで売っているかなー ^^;

今後ともよろしくお願いします。
by 笠原嘉 (2017-07-23 20:46) 

むうぴょんこ

はーい‼
もっちろんこれからもよろしくねぇーっ‼
by むうぴょんこ (2017-07-24 20:17) 

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